「カウントダウン2024ー2025」今回は…!?①【謀る・突発】

「カウントダウン2024ー2025」今回は…!?①【謀る・突発】

年末を前にパタヤ3rdロードで喧嘩の仲裁に入った日本人男性旅行客が胸を刺され死亡。
そしてバンコクで起きたホテル火災でも日本人旅行者男女2名がやはり死亡と言う結果となった様だ。
そしてチェンマイでは、規制外の場所でコムローイを上げ注意された日本人旅行者が警察官に盾突き周囲から批判を浴びた人もいた、その後自ら警察に出頭し謝罪、罰金3,000THBを支払って問題は解決されたとの事だ。
年末に多くの問題に遭遇していた日本人がいたのが非常に残念だ…。

日本に来る外国人同様タイに来る日本人でも相手国の文化や慣例は尊重しないといけない、一時の軽はずみな行動で旅行を台無しにしない様注意が必要だ。
喧嘩の仲裁も同様だ、特にタイ人の場合は○物を隠し持っている人が多い、一見良い人そうに見えてもだ。
飲みに出歩くと喧嘩の光景に出会う事が多いが知人達はまず主を傍に近付けない様にする、何故なら相手が仲裁に入った外国人(主)に何か文句を言われたと勘違いし騒動が大きくなる事を恐れての事の様だ。
「君子危うきに近寄らず」と言う事だ。


皆さん、新年明けましておめでとうございます。
っと、だいぶ挨拶が遅れてしまいましたが、諸事情により本日が今年初の投稿となりました。

年末年始を南国タイ・バンコク、そしてパタヤやチェンマイなどで過ごされていた皆さん、如何お過ごしだったでしょうか?
娯楽施設でカウントダウン?花火を見上げながら新年を迎えた?
そしてゆっくりのんびり寛いでいた事と思います。
もちろん例年通り主もそのどちらかで検討していた…、と言うかそんな事をまだ考える時期でも無いのに既に予定が決まっていたんです…。

さて今回はどう過ごしていたのだろうか…、本編へ。

それは早くから動き出していた…

それは大音量で音楽が流れるローカルクラブで飲んでいる時だった…。
まだタイで乾季入り宣言が出る少し前の出来事、10月末位に友人6人位と飲みに出歩いていた。
ウィスキーボトル1本がアッという間に空になり追加オーダーをする程飲みまくり皆が相当酔っていた…。
そんな時フッと隣で囁かれた…、「今年の年末年始はウドンタニ―に帰る。一緒にウドンタニ―に行く?」と…。
「もちろんだよ!」と快諾した…、否!正確には覚えていない…、後日談で知った。
と言うか、そもそもこの知人と一緒にイベント等を過ごした事は無い、現役嬢なのでいつも仕事をしていて顧客優先で主なんかは相手にもされずいつも蚊帳の外だw
と言う事で、こちらがほぼ酩酊状態なのを良い事に騙された
としか言い様が無い…。

こうしてパタヤ移住後4回目を数える年末年始のカウントダウンはイサーン・ウドンタニ―で迎える事が確定した…、否!いつの間にかそうさせられていた…。

帰郷…、ちょっとその前に…①

帰郷まであと10日程に迫った頃…、計画的に進んでいたかと思っていた帰省計画が二転三転した。
当初27日or28日の帰路で計画は進んでいた、28日以降は有料道路が無料にもなる。
しかし10日程前になって突然「25日でも良いか?」と連絡が来た、しかもパタヤに戻ってくるのは1月1日だと言う…。
クリスマスにイサーン帰郷…、そして元日にパタヤ帰還の意味が分からん…。

そもそもタイでの新年はソンクラーンが主流だ、日本人の主の様に1月1日の新年を祝うと言うのは極稀のタイだ。
欧米文化の根付いたタイではカウントダウンイベントなどが行われ一般的になりつつあるがあれは若者向け、年末年始休暇は1日のみ、徳を積むだけの日との事の様だ。
まぁ~毎日プー太郎生活の主にとって別に日程は何でも構わんのだが。

帰郷…、ちょっとその前に…②

帰郷数日前、知人は年内最後の仕事に励んでいる。
そして深夜になりいつもの呼び出しだ、「AREA集合!」と言う事だ。
ただ友人達と年内最後の飲み会をしたいだけの事で主はそのスポンサーと言う役割、最早定番だ。

今の主は基本的にPB代は払わない、スポンサーをする代わりに友人・知人各自が自分でPBしろと言うスタンスだ。
中にはママさんへの建前上お店に来てBFを支払って欲しい、後でおカネは返すからと言う友人もいる。
もちろん踏み倒される心配は無い間柄だ、なのでその申し出の場合は快諾してあげている、おカネの持ち合わせが有ればの話だが。
それらを受け入れるなら飲みに行ってあげる、それが嫌ならお店には行かないと常々伝えてある。
もちろんチップも払わない、時々帰りがけにバイタク代として100THBを渡す程度だ。
中にはレムチャバンから通っている友人もいる、時々知人に隠れ300THBを渡す様にはしてあげている。
 

年末年始、皆それぞれ何をして過ごすのか聞いてみた。
友人A(何気にキレイ系?):私は毎日仕事だ、だっておカネが欲しいからw ※友人Aのいつもの口癖、取り敢えずおカネだw
友人B(ガッツリタトゥー嬢):私も毎日仕事だ、彼氏と別れたから~w ※事前に知人経由で把握済みw
友人C(明らかにメンヘラ系):私も仕事~、だってママが休んじゃダメって言ったからw ※子供がいる人の休みが優先らしい。
友人D(絶対ダメ男を選ぶタイプw):私は友達と一緒にバンコクに遊びに行ってくる~w
やっぱり仕事の人が多いのかな、西暦(欧)文化が根付いているパタヤに於いてもやはり重要な家族行事はソンクラーンとの事。
知人に確認した所、友達6人の半分は帰省、半分は仕事との事だった。
因みに全員が同一店で働いている訳では無い、異なるお店で働いている友人も多数いる。
場合によってはゾロゾロと嬢を引き連れ友人のお店に顔を出しPBする事もあるのだw

そして迎えた帰省当日…

帰省はX’masも終わった翌日26日早朝からの移動だった…!?
結局の所27日に帰省で計画が練り直されていた、が突然26日朝
の5時にLINEで連絡が来た「準備は出来たか?今から迎えに行く」である…。
はぁ?である…、移動は明日27日のはずだ、いつそんなスケジュールに変更になった?「私、昨日説明したでしょっ!」って相手は主張していた。
いずれにしても
主に選択権は無い、言われた通りのスケジュールに従うだけだ、急いで準備をしまだ暗いAM6時に合流した。
そして向かったのはナクルアのロンポー市場で大量の鮮魚の買いだしである。

エビ・イカ・カニいずれも5kg単位、加工食品多数総額5,500バーツ、まぁ〜海の無いイサーン地方への帰省だから新鮮な鮮魚を買い求めるのも理解は出来る、ウドンタニ―でも売っているが若干割高になるし鮮度は未知数だ。
 

そしてこれから10時間以上に及ぶ長旅である、発砲スチロールに氷と鮮魚を詰めて貰い車まで運んでもらう。
チップの支払いを忘れずに。
 

移動で○時間!?腰が限界超えるw

そして完全に明るくなった7:30頃にナクルア市場を出発である。
通常であれば休憩等を挟み10時間位は掛かる距離である、今回は果たして?
運転手兼友人Aはタイ南部スラタニ―に住んでおり現地を昨日の夕方の17時頃に出発してきたらしい!?
GoogleMapで確認しても車で10時間30分は掛かる、途中休憩をして12時間、合計22時間約1,500kmにも及ぶ長旅である。
しかも今回移動に使う車は日本が誇る日産・ヤリス、昨年末に大騒動を起こしている日産だw
お世辞にも乗り心地抜群とは言い難い代物での長距離移動だ…。

そしてこの移動では知人、妹B(パタヤ在)、友人A(スラタニ―在)そして主の全4名である、後部座席足元にも荷物が盛沢山の状況だw

流石に小型乗用車での長旅は疲れる…。
ここが日本であれば主が途中で運転を変わるのだがここはタイだ、余計な口を挟まない事としている。
因みに全員1年以上ぶりの帰郷との事だった。
 

前回と異なり今回は昼間の移動だ、なので要所々で渋滞が発生していた。
並走するピックアップトラックの荷台には大量の私物を積んだ車を非常に多く見掛けた、皆イサーンへの帰郷だろう。
そして実際今回イサーンに到着したのは20:30頃、実に掛かった時間は約13時間、東京〜バンコクをエコノミークラスで往復移動したのとほぼ同じ時間も掛かった。
しかも後部座席は一切リクライニング出来ないヤリスだ…、余程LCCエコノミークラスの方が快適だ、ハッキリ言って腰が完全にイカれた↷

もうこの車での移動はこれを最後にして欲しいと本当に思ったw

まとめ

前回を遥かに凌ぐ移動時間となった、大通り交差点などで日中の渋滞が要因だ。更に夜間と違ってスピードも出せない。
ウタパオ空港からウドンタニ―へのフライト復活を多いに期待している今日この頃だ。

こうして今回の年末年始は遠くイサーン・ウドンタニ―で過ごして来て、昨日5日早朝にパタヤに戻って来た。
まぁ~異国故に文化も異なり右往左往する事が目白押しだった、次回からはそんな滞在時のお話を。

ウドンタニ―滞在期間中にもスマフォでブログ記事を下書きしていたのである程度連続で投稿できる状態にはなっている、後は画像を必死になって加工し貼り付け投稿するだけだw

本日もご愛読頂きありがとうございました。